「母に食べさせたい!」想いは―――重みから解放された今|退院後の日々ごはん

母と娘と当事者研究

お久しぶりです!

通い介護のミドルケアラーで、ひとり当事者研究者(いこ専門家)のいこです。

気づけば9月も後半。
暑すぎた夏はついに過ぎ去って、一気に秋の気配に。
日中も爽やかな風が、母の家の中にも吹き込んでくるようになりました。

そうは言っても、地域や日によってはまだまだ暑いので油断できませんね。
皆さまもどうぞ、ご自愛ください。

猛暑だったこの夏、私は通い介護(通い同居)のため、この初夏にがんザバイバーとなった母の家に入り浸っていました(この夏の始まりのお話しはプロフィールでお読みいただけます。まだでしたら是非ご一読ください)。

そんな母の家で快適な温度が保たれるのは、エアコンのついた居間、続きの和室1室、さらに奥へと続く母の寝室のもう1部屋まではまあ辛うじてエアコンで冷やされた涼しい空気が届きます。

ですが、キッチンには間取り的に殆どエアコンの冷気は届きません。
キッチンは火を使うこともあって、日中は危険な暑さになることも。

それでも、扇風機を回し、保冷剤をハンカチで頭に巻いて、なんとかかんとか、朝、昼、晩の食事を用意していました。

今回は、そんなこの夏の日々の食事のことに加え、母とのことでこじらせていた私の昔のお話しに少しばかり触れつつ、これまでの「母の食」にまつわる私の母への思いなどを綴りました。

夏バテしながら頑張りました。

「お母さんにも食べさせたいな……」母を想い母が重いこれまで

母ががんになって入院すると、退院したら母は何が食べたいだろう?何が食べれるだろう?何を作ってあげたら、買っていってあげたら、喜ぶだろう?外食はどこまでだったら行けるだろう?(移動時間はどの程度耐えられる?10分?20分?30分?)あれは気に入るかな?たぶん気に入る!あれを食べさせたい!これも食べさせたい!これは食べれるかな?これは好きかな?これは嫌いかな?これは喜びそう!それならあれも……といった風に永遠と母に食べさせたい食べ物のこと、母の食に関することを考え続けていました。

母ががんになって入院するとと先ほどは申し上げましたが、実は、がんになる以前から、ずっと昔からそうでした。

母がいない食卓に、母が好きそうなものがあると決まって、「お母さんにも食べさせたいな」そう思います。

だけど、その思いはいつも叶うわけじゃない。

むしろ、叶わないことが殆どで、心のどこかで「また私だけいい思いをして……」と自分を責めているようなところがありました。

夫がいない食卓に、夫が好きそうなものがあると決まって、「夫にも食べさせたいな」と思います。

義母がいない食卓に、義母が好きそうなものがあると決まって、「義母にも食べさせたいな」と思います。

ですが、その思いがいつも叶うわけではありません。

ですから、「食べさせてあげられなくて残念だな」とか、「私だけいい思いをして悪いな」そう思うこともあります。

ですが、執拗に自分を責めたりはしません―――これが健全な心の状態ですよね。

母が相手でもそうだといいのですがそうにはいかず、悲しくなったり、心がズーンっと重たくなったり、埋め合わせしなければいけないという強迫観念からか、母を喜ばせようと躍起になったり、その反動からか、今度は母を投げ出したくなったり……そんな自らの感情に振り回されることは日常茶飯事でした。

自分を執拗に責めてしまう思考や感情のパターンのせいで、このような情緒不安定に陥っていたのです。

こういった理由によって、たかが食べ物一つを引き金にして、自分を消耗させていました。


ヤングケアラーを脱落

私が幼い頃、母は他人様からよくこんなことを言われていました。


「よかったわね、女の子で。」

私は生まれる前から、体に障害のある母の身のまわりの世話をすることを、周囲から期待されていました(だから、女の子が都合がいいというわけです―――女の子は優しい、女の子は家庭的、女の子はあーだこうだって決めつけに、無性に腹が立つようになったのはいつの頃からだっただろう???)。

そして幼かった私は、その期待に応えたいと思うようになり、それが自分が生まれてきた使命だと信じるようになりました―――物心ついた矢先のまだ幼かったあの頃までは(ほんの一瞬だったということです)。

思春期を迎える頃の私は、「私の人生は私のものだ!」と心の中で叫んでいました。

「私は母のために生まれてきたのではなく、私のために生まれてきたんだ!」

「だから私は、私のために生きる!

私は早々にヤングケアラーから脱落したのです。

(私に何が起こり、なぜヤングケアラーの道を踏み外してしまったかについては、また機会を改めてお話しできればと思いま……す?書くかな?どうかな?)


でも、母のことが頭から離れず……

そんな私はこれまでずっと、「母を幸せにしたい」と思いながら、「母に捕まってはいけない」そんな危機感をもっており、言ってみればアクセルとブレーキを同時に踏んでいる状態で生きてきたのです。

私は母を呼び寄せたり、突き放したり、母に近づいたり、母から逃げたりを繰り返してきました。

それでも母は、私を責めるでもなければ求めるでもなく、ただただされるがままに私の愛情を受け取ったり、私の苛立ちに耐えたり、ひたすら待ったり、待ったり、待ったり……していたのでしょう。

母が待っていると思い、母のことがずっと気がかりでした。

子供時代、友だちと遊んでいるときも。

思春期、恋に友情に忙しかったあの頃も。

青年期、仕事に一生懸命だったあの時期も。

結婚し、母の暮らす家からもそう遠くない地域(車で1時間弱)にUターン移住した後も。

母が薄暗い部屋に一人、こたつにただ座って、そのテーブルには何も乗ってはおらず、何をするでもなく、何の楽しみもなく、ただひたすらに私を待っている、私の帰りをいつまででも待っている……そんな母のイメージがなぜだか子供時代からずっと頭にあって離れませんでした。

このイメージはいったい何なのでしょうか?私の空想の産物なのでしょうか?それとも、実際に私が垣間見た光景なのでしょうか?―――分かりません。

とにかく、どこにいても、何をしていても、私はこのような母のイメージにつきまととわれ、つまりは、母と完全に離れていられたことなどなかったのです。



母に美味しいものを食べさせる!

ずっと待たれていたのだとしたらなおさら、私は母と一緒にいたいです。

やっとそういう気持ちになれたのだから、また、それが許される状況なのだから(夫の協力に感謝)、それに何より、私が母と一緒にいることが必要なのだから、私は何を措いても、母と一緒にいます。

私が今母にできること、母にしてあげたいことで、母が私にして欲しいことをやってあげたい。

で、それって何だろ???と考えると―――日々のごはん、掃除、片付けの手伝い、ねこの世話、日々のごはん、病院の付き添い、日々のごはん、マッサージ、日々のごはん、日々のごはん、日々のごはん……。

日々のごはんばっかりです。

外食や温泉にも連れて行きたいと思うのですが、外食はちょっとずつ行く気になってきてはいますが、温泉には行きたいのか行きたくないのか、いまいちよく分かりません。

ストーマ(人工肛門)となったことで、公衆浴場の入浴は母の性格では絶対に入ろうとしないことは聞くまでもなく分かっていましたから、客室に露天風呂がついたスペシャルな宿に泊まることを提案したのですが、今は嫌だと言い、その気になる様子は無し―――私が連れてってあげたいだけのようです。

母は40日余りの入院で体力がかなり落ちていて、ちょっとしたことで疲れてしまったり、足元がふらついたりすることに少々気落ちしています。

そんな母には近場だとはいえ、旅館に一泊するだけとはいえ、楽しめる自信がないのでしょう。

無理に付き合わせるわけにもいかないので、温泉の案は白紙に戻しました。

「温泉行って、ご馳走食べたくない?」

「いつも食べてるじゃん。いこが色々作ってくれてるから。」

お世辞は言えないなんて言うわりに、こんななかなかな上手を言う母に、私がやってあげられることとはやっぱり、日々のごはん作りなのでしょう。

ご馳走なんて作れませんが、母が喜ぶ味を探りつつ、丁寧に(でも簡単に)、毎回の食事を作っています。

母はそんな私の毎食の手料理を、いつも楽しみにしてくれています。

また、母は今までにはなかった、食欲旺盛な姿を見せてくれています。

母と時期を同じく体調を崩し食欲不振に陥っていたねこも、母同様に食欲旺盛で元気にモリモリ食べる姿を見せてくれます。(ねこのお皿です。)


「今日の夕食は何?」

食事が今一番の楽しみになっているといいます。

だから、できるだけ母が喜んでくれる食事を作ってあげたいです。

手際が良くないので品数も多くありませんし、料理上手では決してないので、いまいちなことだって時にはありますが……。

それでもそれなりに美味しく、母娘一緒に食べればなお美味しいので、母は満足している様子です。

私も母を喜ばせることができて、ある程度は満足。

母が喜ぶようなお店を見つけて(田舎なので気の利いた飲食店は少ないですし、遠くまで行くのは嫌だというので選択肢が限られます)外食に連れて行ってあげられたら、もっと満足です。

母が気に入るパン屋を見つけることができました。天然酵母で作られた美味しいパンに母は大満足。こんな良いお店が母の家からそう遠くない所にあったとは……。

母が退院して最初に口にした食事は、私の手料理ではなく、買ってきたパン。

入院中の母に何を食べたいか聞いても、あまり率先して答えてはくれなかったのですが、パンが食べたいと漏らしていたことが。

ですので、美味しいパン屋さんを探してみたら、近場に良さそうなお店を見つけることができました。

母はこのパン屋さんのパンの美味しさに大喜びしていました。

この時から、母が美味しそうに食べる姿を見ることが、私の楽しみになりました。

また、母に美味しいものを食べさせてあげることが、今一番の私の喜びなのです。


最後までお読みいただきありがとうございました。


ここのところ、ブログを書く手が止まっていました。

実はこの本文はだいぶ前に書いたもの。

それでも、母の現状も私の現状も大方現状維持されていたため、現在進行形でお話しすることができました。

現状維持で穏やかな日々を送れる幸せを噛みしめつつこのブログを締めくくっております。

というのも、もうすぐ抗がん剤を変えることになるかもしれず、そうなると副作用がどう出てくるか……今の穏やかな日々は今だけかもしれないという悲観的な考えが頭をよぎります。

とはいえ、今を生きる他に生きる術はないですし、今は問題ないのですから、先のことへの心配は脇に置いて、今を楽しもうと思います!

今日で母のがんザバイブ124日目。

昨日の夕方から自宅に戻っています。

朝から、たまった洗濯物の山を洗濯し、冷蔵庫の賞味期限切れになってしまったこんにゃくを救出し、久しぶりにブログも書けて、充実の自宅時間を過ごしています。


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